さえずるキウイズム

メンタル弱め一児の父。健康やら子育てやら野球について語ってます。

こどもには「役に立たない」ことをやってほしい

こどもの教育方針について考えました。

「これは絶対やらせたい」という執着はありませんが、役に立たないことをたくさんやって欲しいなと思っています。

 

役に立たないことをやってほしい

これは子持ちあるあるで「こどもにはどんな習い事をさせるの?」という質問をまあまあの頻度で受けます。

 

今であれば英語とかプログラミングを早いうちから勉強させとくと将来的に有利なのかもしれません。

 

しかし、こどもなんて親があれこれ言っても、その逆を行ってしまうもの。親の「教育してあげよう」や「こんな子にしたい」といった気持ちは見透かされてしまうでしょう。親ができなかったことをこどもにさせるのはちょいとダサいなという気持ちもあるので、英才教育的なものにはあまり興味がありません。

 

英語やプログラミングなど役に立つことを小さいうちから学ばせるのは、合理的とも言えるでしょう。それでも私はこどもには役に立たないことをたくさんやってほしいと考えてます。

 

なぜならそれが自分の気持ちを知ることにつながってくるからです。英語やプログラミングより大事な能力なのです。

 

「役に立たない」は自分の気持ちを知るチャンス

役に立たないことをする時、そこには確実に自分の意思が存在します。誰も役に立たないことを「やれ」なんて言いません。

 

自分で選んで、「やめろ」と言われてもやり続けるようなことには

 

  • どんなことを楽しく感じるか?
  • 周りの目を気にしないでできることは?
  • 時間を忘れて夢中になれることは?

 

といった自分の気持ちを知るチャンスが潜んでいます。英語やプログラミングは言ってみれば言語でしかありません。「どの言語で話すか」よりも「何を話したいのか」が重要なのです。

 

たくさん不合理な行動をして、自分だけの合理性を見つける。遠回りとも思えるプロセスこそが自分の気持ちを知る手助けをしてくれるはずです。

 

「役に立つ」だけではしんどい

自分にとって役に立つことだけをするというのは実はしんどいです。

 

私自身は少年時代、勉強が好きな方でした。新しいことを知るのが楽しく、勉強部屋という、ひとりで集中することのできる空間がなにより心地良かったのを覚えています。

 

ところが中学高校と進んで勉強が受験に合格するためのものになった(自分でそう感じてしまった)途端に、勉強に対してのモチベーションが下がってしまいました。

 

勉強が「なんとなく面白くてやっているもの」から「役に立つからやっているもの」に変わってしまったのです。みなさんもそんな経験はありませんか?

 

役に立つことはある程度は必要なものだと思います。しかし役に立つかどうかが行動の判断基準になってしまうと、自分の気持ちから大きく離れることになりかねません。

 

便利になり続ける世の中で

何をするにも便利で効率的な世の中になりました。音楽や映画は月額制で聴き放題、見放題です。だいたいのノウハウはGoogle様に聞けばわかってしまいます。インターネット上には無料で一生分楽しめるコンテンツが溢れています。その恩恵を受けている側からすると、すごくありがたいのですが便利すぎて自分の気持ちがなくなっていないか不安になるときがあります。

 

役に立たないものに時間を使う。

一見無駄なものにお金を払う。

これらを経験する機会はどんどん減ってくでしょう。しかし自分を知るという点ではこういった行動は欠かせないのです。

 

こどもには役に立たないことをたくさんする権利と時間があります。

親としてはその姿を見守りつつ、自分も背中を見せていくしかないかなと思う次第です。

 

本日はこれにて。

ありがとうございました。