こどもって意外と大人のことをよくみてます。
育児をしていて、たびたび感じることです。赤ちゃんであろうと、小学生であろうとそれは変わらないように思えます。
絵本作家の故・かこさとしさんの「こどもさんをあなどるな」という言葉がお気に入りなのですが、まさにその通り。
澄んだ眼とすべすべの肌ですべてを感じ取っています。
「早く寝て欲しいな」とソワソワしながら抱っこするとなかなか寝ませんし、バレないようにスマホをいじろうとしてもグズグズしはじめます。集中してない自分を鏡のように映し出し、反省させてくれる存在です。
「試さない」を忘れないように
考えてみると自分自身もこどもの頃は大人の動きをよく観察していました。
そのふるまいが道理にかなったものなのか。感情だけで怒鳴りつけているのか。尊敬できる大人とそうでない人の匂いをなんとなく嗅ぎ分けていたように思います。(かわいくないこどもだ)
そのため、こどもと接するときは「試すようなことはしない」という決まりを自分の中で持っています。あくまで一人の人間として対等に接するということです。
人を試すとはどういうことか?
それを定義するきっかけとなったのは小学生時代の出来事でした。今でも思い出すくらい、印象に残っています。
生徒を試す音楽の先生
ある日の音楽の授業。始業チャイムが鳴っても先生は現れません。
少しの間、静かに待つものの、そこは小学生。当然すぐに騒ぎはじめます。
20分くらいした後、先生がやってきました。
「どうして先生が来てないのに呼びに来ないの!」
「先生がいなくてもいいなら、自分たちで勝手に授業やりなさい!」
と怒鳴りつけられました。
みんな、ポカーンでした。
「お前が遅れてきたんだろ」と言えるメンタルの強さがあの時あったらなぁ。
次の授業では、生徒だけで授業をすることになったのですが、終わったあとに
「ほら、私がいないと授業できないでしょ?」
と言った先生の得意げな笑顔は今でも忘れられません。ちなみに生徒だけで行う授業はクラスメイトの創意工夫のおかげでそこそこ楽しかったです。
いわゆる小学校あるあるみたいなもので、今となっては微笑ましい出来事といえます。しかし当時は子供心に「この人は信頼できないな」と感じことを覚えています。文字通り反面教師として思い出に残る存在です。
意図的に遅刻することによって生徒を試す。じつに卑怯なやり方です。
そもそも授業に遅れてきてるのは先生であり、これが大人同士であれば遅刻した方が謝るというのは当然のことです。そして、大人同士でわざと遅刻するというのは信頼を失う行為でしかありません。それを小学生相手ならしてもよいのでしょうか?
「先生が来ない場合は呼びにくる」ということを教えたいのであれば、最初からそのように伝えるべきです。初回からこのような茶番を仕組まれてしまっては、信頼関係をつくることができないでしょう。
わが子は見抜くだろう
残念ながら学校だけではなく、この社会にも人を試したがる人はいます。してほしいことや言いたいことを直接的に言わずに「察する」ことを強要する人。自分の機嫌をとらせることが好きな人。もしかしたら、気づかないうちに自分もそうなってしまうのかもしれません。
しかし、人を試そうとする心はわが子にも見抜かれてしまうことを今は知っています。かつての自分がそこにいるのですから、恥ずかしい姿は見せられません。ある意味いちばんチェックが厳しい目と言えそうです。
毎日無垢な目で見つめられるたびに背筋がピンと伸びる。これも子育ての意外な副産物でした。
本日はこれにて。
お付き合いいただきありがとうございました。