こんにちは。
キウイズムです。
先日我が家でも離乳食が始まりました。
離乳食がはじまるにあたって、書籍やらインターネット上で色々調べていたのですが、子育てを行うママだけでなく、パパにもオススメしたい文章との出会いがありました。
本日はそちらを紹介していきます。
瀧波 わか(たきなみ わか)さんという編集者の方が書いているコラムです。
この方の優しくも、迫りくるような文章にはいつも涙腺をつかまれてしまいます。
一生懸命つくった離乳食を「たべない子」を育てる「みずみずしい」母親を友人視点から描いたものです。
こちらも合わせて読んでいただきたいアナザーサイドストーリーです。
正しいアドバイスが役に立たないとき
「食べてもらえない」つらさ。
「誰も悪くない」からこそのつらさ。
この文章を通じて様々なつらさについて考えさせられましたが、最も印象深かったのは正しいアドバイスがもたらすつらさでした。
失恋したけど未練がある人に「次があるよ、前向こう」と諭すように、
女優になりたいけどオーディションに通らない人に「就職したほうがいいよ」とすすめるように、
本人がまだ「諦めたくない」と思っているうちに、より合理的で正しそうにみえる選択肢を突き付けることは、ときに残酷で重荷なのだ。
彼女は息子くんのために手作りの食事を作りたかった、
そして食べてほしかった。
それが無理なら、努力を認めてほしかったのだ。
「作るのをやめる」は希望していなかった。
ひたすらに手料理を作る彼女は、愚直に見えたかもしれないが、
その行為が「あまり賢明ではない選択」であるかのような示唆は、誰も幸せにしていなかったんじゃないだろうか。
この一文を読んでハッとしました。
そしてすぐさま自分自身を振り返りました。
正しいアドバイスを無責任に投げつけてないか?
母親の意思をないがしろにしていないか?
正論を振り回して、傷つけていないか?
父親の立場に立つと客観的に母親を見ることができてしまいます。
それは決して悪いことではなく、役割として必要なことです。
一方で母親の主観によりそうという役割もまた父親にしかできないものだと思います。
子育てには正解がありません。
それに近いものがあるとするなら、お互いの気持ちによりそい、対話を諦めない。
それを継続する。それしかないのではないでしょうか。
正しいアドバイスが役に立たないときは必ず来ます。
まずは相手を認めること。
そこからスタートです。
本日はこれにて。
お付き合いいただきありがとうございました。
抱っこは素晴らしい