本日は8/6。
職場で広島出身の同僚が黙祷していたので「今年もその日が来たか」と思い出しました。
その同僚の黙祷はとても自然で、小さい頃からの習慣みたいなものを感じました。
8/6に限らず、8/9、1/17、3/11など地域によって「忘れてはいけない日」が存在します。その地域の子どもたちは小さい頃からそのことに関する教育を受けているんでしょう。
自分は幸か不幸かそういう地域の歴史教育を受けたことはありません。(忘れているだけかもしれませんが、、)
自分の生まれた場所の歴史を知ることは大事なんですが、その一方で子どもに「使命」を負わせるのはどうなんだ?という気持ちもあります。
「震災の悲惨さを後世の人たちにも伝えていきたい。」
あるニュースで宮城県の中学生がこう答えていました。
すごく「立派」なコメントなんですが、そんなに背負わなくてよくない?と思ってしまいます。
テレビのコメントというのもあるかもしれませんが、中学生が負う使命としては大きすぎやしないかい?とおじさんは思うのです。
私が中学生のときにはこんなコメントは絶対できません。歴史や先人への敬意も知らず毎日ヘラヘラ笑って生きてきました。
30代になってやっと、そういうことに目を向けようかなー。くらいな感じです。
大人の考える「立派さ」に応えようとしているor応えられてしまう子が増えているような気がします。
戦争や震災のことを学ぶのは必要なのかもしれないけど、子どもはもっと無邪気にヘラヘラ笑って生きる自由があるんじゃないの?
むしろそんな世界を作るのが大人の役目なんじゃないの?
みたいなことを思った8/6でした。
本日はこれにて。
読んでいただいてありがとうございました。