「わが子のために死ねるだろうか?」
なかなかヘビーなこの問いをふと思い出したように考えることがあります。
答えはまだ出ていません。答えを出す場面が来ないことを心底願っていますが、せっかくなのでこの機会に少し考えてみたいと思います。
わが子のために死ねる理由とは?
まだ子どもがいなかったころ、人生の先輩方から「わが子のためだったら死ねる」的な話を聞くことがありました。
例えばわが子が車にひかれそうな時、ためらうことなく飛び込めるかどうかというような話です。
性格が曲がっていた当時(今もか?)は
「口だけならなんとでも言える」
「そんな場面は来ないから言ったもん勝ちだよね」
などと否定的な受け止め方をしていました。
それでも人というのは変わるもので、愛しい存在ができた今であれば、「わが子のために死ねる」という言葉も少しずつ現実味をおびてきたように思えます。
ただし「子を守るのが親」といった立派な覚悟なんてものはなく、単に臆病さという理由な気がします。
子どもが死ぬくらいなら、自分が先に死にたい。「残される側になりたくない」という情けない、かつ消極的な理由。
我ながら情けないと思いつつ、「先に死にたい」と言える相手がいることは幸せであります。まあ、死なないのが一番ではあるんですが。
幸せとは臆病になること
色々なことに幸せを感じる一方で、確実に臆病になっています。
家族と穏やかで幸せな時間を過ごしていると、急に「もし先に家族がいなくなったら」という恐怖に襲われることがあります。
その恐怖もフッと一瞬で消えてしまうものなのですが、「幸せとはある意味、危ういものなのだな」と妙に悟ったようなことを思ったり。
こんな感じで、たまに考えなくて良いネガティブなことも考えたりするのですが、今回出てきた臆病さも「幸せである証」とプラスにとらえて生きていこうと思います。