過去は過去。
懐かしむばかりでは前に進めない。
それは分かっている。
でも、ちょっとぐらいの寄り道はいいじゃないか。
この日、松坂大輔が投げたスライダーは原風景への寄り道を許してくれた。
2018年9月13日、この日38歳の誕生日を迎える男は甲子園のマウンドに立っていた。五回裏ランナー2,3塁のピンチを招く。迎えるバッターは前の2戦で3本のホームランを放っている阪神・大山。フルカウントからの渾身の一球で空振り三振に打ち取った。
「ウチの投手陣はこっからが大変なんだ」と余計なことを考えたのち、ふと20年前のある場面を思い出していた。場所は同じく甲子園、ノーヒットノーランで春夏連覇を決めた横浜高校エースのスライダーだった。
「1998」
野球に出会った野球元年である。この数字を忘れることはないだろう。
小学生だったぼくは松井稼頭央になりたくて野球をはじめた。イチロー、松井秀喜をはじめとしたスーパースター達に目を輝かせていた。テレビでは巨人戦しか見ることができなかったが、中日ドラゴンズという最高のライバル役に魅せられ今でも応援してる。大人になり、現地観戦もできるようになった。それでも野球の原風景はテレビに映っていた彼らの姿なのである。
松坂大輔に出会ったのもこの年であった。彼はまぎれもなく甲子園の主人公であった。清原和博でもなく、斎藤佑樹でも、清宮幸太郎でもない。彼が主人公であることだけは譲れない。横浜高校vsPL学園をリアルタイムで見れなかったことだけは今でも悔やんでいる。最高の試合ほど見逃してしまう。そんな悔しさも野球あるあるだ。準決勝vs明徳義塾での逆転劇、野球の希望と絶望を知った。そして決勝での偉業。当時のぼくはノーヒットノーランの意味や凄さがよくわかっていなかったが、最後に投げたあのスライダーの軌道は何故だかいつまでも覚えている。
あれから20年の時が過ぎ、連投でノーヒットノーランを達成した男も、いまや5回を投げ切るのが精一杯だ。彼はあまりにも投げすぎた。
怪物の面影は最早ない。
それでも彼はこう言っている。
”「今のところは辞めていった、辞めていく選手の分も頑張ろうというか・・・。続けていくつもりです」”
松坂、来季も現役続行を表明 「辞めていく同世代の分まで頑張る」:ドラニュース:中日スポーツ(CHUNICHI Web)
昭和生まれの平成の怪物は、次の元号でも投げることを約束してくれた。
「「ぼくはもう少し頑張るよ」という決意表明の日にしたかった」
この日のヒーローインタビューで語った「もう少し」がすこしでも長くなることを祈っている。
そしていつか、また寄り道を許してくれることを願っている。