漫画をよく読むが主人公が1番好きという作品は少ない。
孫悟空よりベジータ、ルパンより次元大介が好きな子供であった。
単に捻くれていただけかもしれない。
ライバルや2番手となるポジションにいながらも、キッチリと自分の役割を果たすようなイメージ。
そんなキャラが大好きだったし、こんな大人になりたいとも思っていた。
物語の美味しい所をもっていくのも、ラスボスを倒すのも主人公の役割である。
それでも人間的な魅力を感じるのはライバルキャラだし、応援したくなるのは2番手キャラである。
なぜだろうか。考えてみた。
主人公というのはある意味では自分の物語を生きていないのだ。
運命、血統といった物語の業を背負っている。作者や読者のための物語を生きている。
最終的には勝たなければいけない。
いや、勝つことが決まっているというべきか。
対してライバルキャラは基本的に自分の物語を生きている。
彼らいつも勝つか負けるかわからない。
ラスボスも倒せない。
それでも自分の役割を誇り高く演じている。
我々はそれぞれの人生という意味では主人公であるが、幸いながら他の誰かの物語を背負う必要はない。
最終的な勝敗はわからない。
待つのは輝かしい勝利か、無様な敗北か。
それともまた別の何かか。
結末のわからない物語の中で自分の役割を演じていくしかない。